邦画「海難1890」を見て・・。
先日wowwowで放映された邦画「海難1890」。おもいっきり感動しました。
ネタバレになるけれどあらすじとしてはこんな感じ。。
開国したもののまだまだ日本の体制が揺らいでいる1890年(明治23年)。
6月13日にオスマントルコの皇帝の親書を明治天皇に奉呈し日本では親善訪日使節団として歓迎を受けた。そしてその帰りに不幸にも日本で大流行したコレラのために帰国予定が大幅にずれこみ、ようやく出航したのは台風シーズンの秋。
600人以上を乗せた軍艦エルトゥールル号が、横浜港をでて現在の和歌山県串本町沖の紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出しました。
もともと裕福ではない漁村の人々が一丸となって遭難者を救護したものの500人以上の犠牲者を出すこととなりましたが、その献身的な介護のおかげで無事祖国のトルコへ帰国することができました。
このエピソードだけでも立派な話なのにこの話にはまだまだ続きがあります。
時代は移り変わり1985年のイラン・イラク戦争で、イラクのサダム・フセインは、イラン上空の航空機を無差別に攻撃するという宣言を行った。
「今から48時間後にはイラン上空の飛行機はすべて攻撃対象とする」
各国ともいち早くトルコから脱出するために母国からの迎えの飛行機や陸路で退避を行ったものの日本は国会承認や自衛隊派遣の問題から救援機は送られないこととなる。
ロケット砲などの砲弾や銃撃が激しくなる中で絶望にくれる日本語学校の関係者や商社マン。空港へ行ったもののトルコ国民が退去し搭乗チケットの販売を待っている状態。。
そこで奇跡が起きた。。。
当時のイラン駐在特命全権大使が、トルコのビルレル駐在特命全権大使に窮状を訴えたところ、ビルレルは「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答え全員が無事トルコ経由で日本へ帰国できた。
これは実話だそう。。。
ということでこの3月末に串本のトルコ軍艦遭難慰霊碑へ行ってくる予定です!
また報告しますねー。